偽書

authenticities.

「みかーれ!」のこと

たとえば○と△と□の劇。

この記事は、「東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2021」15日目の記事です。

前日14日の記事は、ふぁぼん先生による「同人活動、はじめました」。

yuyusuki.hatenablog.com

翌日16日の記事は、ちさとし先生による「きららファンタジアについて、色々」でした

cst-oshino.hatenablog.com

あれ? 今日は12月18日……

現状報告

今年の秋に発行した、本同好会初の会誌である「Micare vol.1」。その誌上にて、畏れ多くも誌名を借りた短編小説、「みかーれ!」の冒頭部分を寄稿しました。私はSF以外の書き物を知らず、またかなりの事物が程度の差はあれSFであると信じているので、これもおそらくSFになるだろうと確信しています。

そもそもの着想は、私たちの立て看に起因します。

yuyusuki.hatenablog.com

3日前のふぁぼん先生の記事にあるように、この立て看板は会員たちが「きららのイデア」を構想し、それに基づいて出力したアーティファクトです。もちろん、すべての光をひとつの表象が代表することはかないませんが、「きらら的なるもの」(とくに近年の)を想像した上での一例であることは、おぼろげにでも理解されるでしょう。

この際、私たちは独自のキャラクターを考えました。権利の問題もありますし、何より(個人的には)なにか神話みたいなものを作りたかったのです。そのために弊学の実際の科類をイメージしたり、歴史上の偉人を絡めたりということが行われました。

要するにそれを暴れさせたいのです。

この抽象的なキャラクターたちを、同じく抽象的で象徴的な舞台で暴れさせたい。そのわがままで独善めいた願いが、どうにか正当なものにならないかと考えてきました。

はっきり言うと、進んでいません。

9月末に寄稿した時点では制作上の遅れという程度だったのですが、その後ウンウン唸り、いろいろな作品の文脈を見ているうちに、まったく別のものが出来上がるような誘惑に襲われて、改めて考え直すことにしました。

以下は、ネタバレにもならない話です。(そもそも暴露すべき対象がまだない!)

コマ場/駒場

きらら作品を考えたときに、四コマという要素は欠かせないものとしてあります。その短期切断、反復は何らかの影響を与えているはずです。

とはいえ、四コマ概念そのものについて私見を交えるような真似はしません。それはあまりに危険ですし、何よりここで与えたい曖昧さからは離れてしまいます。むしろ四コマが共通のプロトコルであること、構成単位であること、ここを起点にしてなにかSFとして最低限のメタ的な要素を錬成できないかと考えています。

記号性、4C2

フィクションにおいて、キャラクターは少なからず記号になります。この子はこういうキャラであり、それゆえに……と。私たちは大抵の場合、既存の類型のなかで登場人物を理解するため、まったく異質なキャラクターに出くわすことはそう多くありません。あったとして、それは理解のレパートリーに新しい展示品をひとつ加えることになるだけです。

当然の帰結として、このような記号としてのキャラクターは、唯一でユニークな在り方との対立をつねに孕んでいます。なぜなら「私的性格」は万人には通用しないからです。実際に彼ら彼女らがどうであれ、それは分類され記号になります。

この手の話は巷でさんざん擦られていると思うので、深追いはしませんが、この手の傾向に対して反発するというより、あえて取り込みたいというのが最近の持論です。その意味での、象徴的なキャラクターとメタ的な舞台なのです。

キャラクター文化に思いを馳せるなら、カップリングのことも考えなければならないでしょう。ときとして強引に関係性を創出する視聴者の営み、その暴力性も、私は否定しようとは思いません。むしろ、それを加速した先に何があるのでしょうか。

たぶん何もないのですが、昨今の関係性の話でお馴染みの「解像度を上げて云々」というのもなんだか言われ尽くした感じが出てきました。それでむしろ貧困化されて、接続されたり切断されたりする恣意的なネットワークを考えたくなっているわけです。

スペクタクル/日常

みんな、見せ場が欲しいでしょう。でも見せ場とは残酷です。荘厳で美しく、極端で大規模な転換。多くの物語で、それは重大なコストを消費します。

一方、きららのすべてが日常系だなどとは言いませんが、純粋な日常系に関してスペクタクルは望むべくもありません。それは本源的に繰り返すからです。

そういうわけで、なんかこの両者の間を行き来してごにょごにょしたいのです。もう考えられない、午前三時、終わり……。

何が言いたい

自分でも何を考えているのかよくわかりません。書いていると浅いなあというのが自覚されてきますし、形にできる気がしませんし。あとスタァライトの後遺症がひどすぎる

ともあれ、予定では全面的に改稿してMicareの次号以降に掲載することになっています。いよいよ後がなくなって、追い詰められてきました。

助けてくれ!!!!!!